Roter Mond. -赤い月







 「さぁて…どうしてくれようか。」



 夜気{夜の空気}が冴え渡る深夜。

その者は、そうは言いながらも、返答を求めてはいない。
問われた者は"声が出ない"。
他に人の気配は感じない。

 闇色のコートは風の呼吸に合わせ、――…なびく。

「アイツが戻って来たら、こんなチャンスはないからな。
 俺の質問に答えて貰おうか。」

問うのは深き紅の瞳の持ち主。深い深い、赤。

「こっちもな、色々規制がある。人間の生命は奪えない。
 それが、こちらに来れる理由の一つ、と言う事は知ってるだろ。」

つまりは 生かして帰す という事だろう。
辺りは闇。唯一つ、街灯が己の居場所を示すのみ。

「俺への勝算は、お前には無い。だが、お前は逃げる計算をしている訳ではないだろ?」

深紅の瞳の…吸血鬼は言う。薄く開かれた唇の隙間、牙が顔を覗かせる。
相手が"声が出ない"事を知りながら、尚も言う。

「お前の追っていた魔族は俺が捕らえる。それが仕事だからな。
 …その前に。お前は俺が<<始祖の血>>を持つ事をその身で理解しているな?」

 …そう、先刻からこの吸血鬼の問われている者、その男も、"仕事"をしていた。
折りしもその最中に、吸血鬼に会ったに過ぎない。
だから手を引こうとしたのだ。この吸血鬼に、一人では敵わない。

"声"を掛けられるまではまだ、その場から離れる事が出来たであろう。



 <<始祖>>



 始まりの吸血鬼。他の種族の血が混じっている事もなく、吸血鬼の血が薄まっている事もなく、
生粋であり純潔な血を持つ、ヴァンパイア。
始祖の血を持つ吸血鬼は、その身体能力は計り知れない。

「俺の質問に答えて貰おうか、神の名を持つ者よ。そろそろ硬直も解ける頃だろ?
 実に優秀な神父なんだな、お前は。俺の力が分かるとは。」

 瞳の色と同様の深紅の髪は、月明かりで妖しく瞬く。
それは血の様な色、と云う表現よりも、明度の落ちた薔薇色{そうびいろ}、
という例えの方が相応しいだろう。

恐怖で神父が"声が出ない"訳ではない。


「…さて…お前達の拠点は、何処だ。」

 神父は答え無い。彼の緑色の瞳は、未だ吸血鬼に囚われた儘。
拠点とは即ち、正教会の事を云うのだろう。主教に司祭、輔祭等が居る場所である。
吸血鬼を、自らの住処に招く行為はなんとしてでも避けねばならない。

それでもこの吸血鬼から、目を離す事が出来ない。
全身の力が抜けた感覚が、…酔いが回ったかのような…感覚が、体中に駆け巡る。
人によって、この感覚の捉え方は違うのかもしれないが。



それこそが、吸血鬼の…、ヴァンパイアの "魅力" なのである。



 耽美に惹かれ、甘美はとても甘く、快楽への錯覚は心地良ささえ、感じる。
況して、夜を味方にした、始祖。


(我らが父…神よ…)

神父は十字架を握り締めて、心の中で祈った。
吸血鬼は再び、口を開きかけた。が…

「リノラファエーレ」

名前を呼ばれた吸血鬼は、声の主へ振り向きはしなかったが、「時間か…」と呟く。

「リノ…、貴方は何をしているんですか?」

随分と穏やかなトーンで、対照的な白{白衣}をまとった人物が、
始祖の名を呼び、問う。彼の周りには数十羽の蝙蝠が慕う様に飛び回る。

「タイムオーバーか。良かったな。」

リノラファエーレは肩を竦めた。だが、口元は笑みを作る。

「…僕が諸々の手続きをしている間に…貴方は寄り道ですか?」

そうは言いながらも白き男は、始祖の性格を理解しているかのように、
苦笑してみせた。男の風貌はまるで…、狼男。
然しながら、獣の耳を持ちながらも、なんと紳士的な声を持ち、立ち振る舞いなのか。

「相方が大変失礼をしました。神父様。貴方は今、眠いのでしょう?
 人間の体内時計でいくとこんな時間ですし、相当お疲れの様に見えますが。」

白き男は続ける。

「それと、魔力がとてもお高い様ですね。だからこそ、リノの気に中てられたのでしょう。
 ご安心を。貴方に何もしませんし、彼にももう、させません。」

神父は息を呑んだ。

「この事は司教には報告しない方が貴方の身の為です。一つだけ、質問致しましょう。
 その前に、僕の名はロベルト・エーレンフェスト。ふふ、吸血鬼、ですよ。」

静かに、穏やかに、しかし品が混じった声。

「質問しましょう。貴方の名前は?」

贖うな、と身体中が命令するかのように、神父を何かが支配する。

「…、……、クラウス」

名乗らない訳にはいかなかった。それでは彼に対して、失礼にあたる。
そのような事を、クラウスの頭の中をぐるぐると回る。

「フルネームは?」

ロベルトは、囁いた。

 "狼男"の、ような、それでいて、確かな吸血鬼の魔力を感じる、
この男の<<声>>は、なんと形容したら良いのだろうか。
身体の奥がとけそうになる、そんな魅惑を含んだ、声色。

「…クラウス…ブラウンフェルス…。」

このまま、拠点を聞かれてしまえば、口に出してしまうかもしれない。
それだけは避けねばならない。仲間に連絡するべきだったのか、
なんとしてでも逃げれば良かったのか、クラウスは言葉にならない思いを必死に掻き消す。

「お手数をお掛けしました。クラウス様。僕は十分です。
 貴方が魔族を追う仕事をしていらっしゃるのなら…そうですね…」

ロベルトはクラウスの十字架に触れ、直ぐに手を離した。

「また、お逢いしましょう。」

ロベルトは微笑んだまま、白衣をふわり泳がせ、踵を返す。

「行きましょう、リノ。僕達の任務はこれからです。」

「あぁ。逃げた魔族なら、お前の蝙蝠に追わせた。居場所なら直ぐ分かる。」



 夜気が冴え渡る深夜、無数の蝙蝠の羽の音だけが鳴り響いていた―――…。
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