ロゴ The bird which cannot fly  

- Les ailes blanches [ 白い羽根 ]-



(*屋敷を失い、身分をテリエ家に奪われたレインと、
テリエ家の令嬢であり、レインのクラスメートでもある、
セリーヌとの話。)



 窓から小さな光が差し込む暗い部屋。
肌身離さず持ち歩いていた懐中時計は奪われ、
時刻を知る術は無い。

 ただ一つ、月の明かりが瞳に映った時は、
それは夜を告げているのだと知る。


 身体に巻きつくかのような鎖。
…自由を奪われた両手を、次第に傷つける"枷"は、
些事たる痛みを少年に与える。
それでも少年は、何も言わずに静かに鎖を見つめた。

 外部から、こちらへと向かってくる足音が、…響く。

 ガチャ…と遠慮がちに開いたドアと共に、眩しい光を背にする少女。
上品なレースをあしらったモノトーンのドレスと、
一つに纏めた彩度の落ちたベージュの髪を、束ねるリボンが揺れる。

 一瞬にしてドアの向こうの光は、部屋を照らした少年の、
アクアマリンとルビーレットの瞳を細めさせた。
少年が如何に端整な面持ちをしているのかが分かる、十分な光だった。



「気分はどうかしら?」

 言いながら少女は少年に近づく。少女が手に持つランプは静かに灯る。

「………」

「お腹空かない?何なら、私が食べさせてあげるわ。」

「それは必要無い。」

「強情ね。昨夜から何も食べてないんでしょ。」

 少女は少年を見下ろす形で、言い放つ。
そうは言ってみたものの、少年が心根を押し込めている訳では
ないのを、知っていた。
真っ直ぐに見つめ返す少年の瞳に、飲み込まれそうな
錯覚を覚えた少女ではあったが…

「…これがテリエ家の礼節なのか。セリーヌ。」

 少年に名を呼ばれた少女、セリーヌは少年を睨み付けた。

「これがグレイシャス公爵家の嫡男に対して、無礼な行為なのは認めるわ。
 でもこうでもしないと、敵わないもの、その能力には。」

 少年は自らを傷つけていく鎖に目を配る。
暗がりに染まってはいるものの、本来は淡い空色のなのだと思わせる髪は、
微かに揺れた。

「それに…」

 セリーヌは続ける。

「あなたはもう、没落貴族みたいなものじゃない。
 屋敷も失って、自ら近親の下へ行くのも拒否したんだから。」

 冷笑。そう告げる少女の冷めた笑みは美しくもあった。

「そんな男を、金権で縛り、魔力を封じる装身具で抑留し、
 脅迫し、その上…君のものになれと言うのか。」

「そうよ。」

少年の言葉に、少女は即答する。

「そうよ、レイン。あなた…、自分をもう覚えてもいない妹の為に、
 その妹の保身の為に、身柄を買収されても黙っているんでしょ?
 そうよね、困るわよね。あの子もグレイシャスの人間なんだもの。」
 
 レインはセリーヌを黙って見つめた。
傷口を抉られたにも近い科白は、少年の整った表情をほんの少し、曇らせた。
護る事が出来なかった妹。大切な妹。

 精霊と妖精の加護、生まれながらに持つ大きな能力故に、
その身と力を狙われ、利用され生きていく事のないように、
無邪気に、花のような笑顔でいてくれたらと願った、大事な女の子。

 セリーヌは理解していた。レインがどれほど、幼き妹を大切にしているのかを。
今こうして、殆ど抵抗する事もなく捕われているのは、
それが、"妹の安全と引き換え"になるからなのだと。

「テリエ家にはあなたが必要なのよ。分かる?
 陛下はあなたの能力を利用してたけれど…
 私わね、あなたが欲しいのよ。ねぇ、レイン。
 それともご自分を"買い戻せる"だけの力があって?」



屈辱。



 求められている言葉が混じっていても、それは屈辱だった。
それでもレインは表情を変えず、甘んじた。
だが少女は、少年がその目に冷たい光を宿したのを、見逃しはしなかった。
話を聞いていない訳でも、無味でもなく、強い意志を感じさせる表情。

 セリーヌはレインに歩み寄り、上品にドレスの裾を持ち上げ、
同じ目線になるよう膝を曲げ、腰を落とした。

 少年の傍に近づいた少女は、改めて息を飲み込んだ。
彼の長い睫はより一層、繊細さを彩っている。

「あなた…ご自分がいくらで取引きをされたのか知ってらして?
 でも…ご自分の身を売ったのは初めてではないようね。」

「…君は俺に、忠誠を誓って欲しいのではないのか。
 テリエ家の令嬢は婉曲を知らないとみえる。」

 ほんの少し低く響いた声。
少年の声のトーンの変化に、一瞬、少女は目を見開いた。

「テリエ侯爵が君に命じたのか。グレイシャスがベルティエ公爵家と
 …俺とミレイユの婚約の話があるから。だから君は…」

 レインの問いにセリーヌは答える事もなく、眉間に皺を寄せた。

「俺の一族の能力等なくても十分ではないか。
 それだけの力がテリエ侯爵家にはある。君にも。
 それとも…今以上に確かな権力と地位が必要なのか。」

 レインの言葉は穏やかなものではあったが、冷たさの増した声色だった。
セリーヌは憤りを感じつつも、昂然とした表情を少年に向ける。

「余裕ね…。」


 セリーヌの冷たい指が、レインの唇に触れた。
その瞬間、甘い香りと共に、レインは視界が遮られたのが分かった。

 柔らかな感触。レインは静かに瞳を閉じた。
少女の手は身体を支えるように、少年の腕を…手首を握る。
冷たい鎖は微々たる音を、――たてた。

 彼女の、脈を打つ胸の音が聞こえてきそうな程の静かな部屋で、
ただ深く、…深く、熱を帯びる塞がれた唇。

 セリーヌは、淡いブルーの、すべりの良い髪を指で梳かし、
名残惜しげにそっと、温もりから身を離した。

 ひと時の甘美は、快楽を全身に求めるかのようだった。
ひやっとした空気に晒された唇が、口付けの解放を物語る。

 一歩下がりセリーヌは腰を上げ、レインを見下ろした。…切なげに。
眼瞼を開いた少年は瞬きをし、少女を見上げた。

「君は…」

 言葉を探していたセリーヌに、レインは言う。

「君は…"想い人"がいるのではなかったのか。」

「…!」

 セリーヌは目を丸くした。同時に、心臓が強く脈を打った。
肯定も否定もせず、セリーヌは一瞬でも見せてしまった動揺を隠す。

「これが君の覚悟なのか。」

「どういう意味かしら?」

 微笑を作って、セリーヌは問いかける。
少しの時間が流れた後に、レインは口を開く。


「…好きでもない男に、その身を預けられるのか。」

 レインの口から紡がれた科白に、セリーヌは怪訝な顔をしてみせた。
全くの好意が無い訳ではなかったが、それは言いたくはなかった。
少女のダークレッドの瞳が、不機嫌だと告げる。

「レイン、忘れないで貰いたいわ。あなたを支配しているのは誰か。
 私の
(めい)一つが、今やどんな力があるのかをね!
 どの道、その繋がれた両手では何も出来ないでしょ。」

 セリーヌはレインを難詰した。主導権を握っているのは自分の筈だが、
そう感じさせない少年の
慇懃(いんぎん)さが、彼の強い意志を再三と思わせる。


「この両手…か。」

 レインは瞳を伏せ、静かに呟いた。同時に、白い羽根がふわりと静かに舞う。
少年の背には断続する光に包まれた、真っ白な翼が広がっており、
月の明かりを吸い込んだように透明な、煌く羽根が美しい絵を描いている。

「意に介さない。すぐに…外したくなるさ。」

 真っ直ぐに、揺れる事なく真っ直ぐに、少女に向けられる視線。
焦がれに似た思いと喉を渇かす衝動を、…セリーヌは呑み込んだ。



 どんなに汚しても、穢す事が出来ないのだと、思い知る。


「そんな事は私が決める事よ。
縦横(じゅうおう)しようと思わないで。
 あなたは忠誠を、と言っていたけど…それだけで済むといいわね。」

 セリーヌは自らの足元に舞い降りた羽根を拾い上げ、
レインを見る事もなく、身を翻した。
そのまま、ドアに向かって歩く。


「君が。」


少年の声に、少女は足を止めた。

「君が…卑怯者になれるのなら。」



 凛とした音で少女に向けられた声は、
決して、哀れみでも軽蔑でもない事をセリーヌは悟った。
羽根を拾い上げた少女の顔が、悲しみの色を宿していた事に
レインが気づいていたのだという事も。


セリーヌは無言でドアを開け、部屋を出た。



―――唇に残る官能を、その余韻を、噛み締めながら。




It continues...?
2011/12/09


懐中時計は、レインの、母親の形見の品。

 


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