ロゴ  涕追想   

 -5- 【 引金 】







   静かだ。
 あれからあの青年、否、灯夜は帰って来なかった。
おそらくは、『アジト』とやらにいるのだろう。
 永智は俺の特等席であったソファにいる。
無言で座り、書類を見ていたかと思うと、
どうやらそのまま眠ったようだ。
 俺はというと、灯夜の本であろう、書籍を見ていた。
ラテン語にイタリア語、ドイツ語、聖職関連が並んでいる。


「それにしても…なめられたものだな、俺も。
暗殺者だろーが!いいのかよ、眠ったりなんかしてさぁ」

 俺は独り言を呟いた。
言いながらこの男の事を言えないとも分かっていた。


 ……………殺してしまおうか?



 悪いのは油断しているこの男だ。

 握り潰された煙草の箱が目に付く。
無性に腹が立つ感覚が、沸騰した様に湧き上がる。

 俺は懐に有るナイフを握った。

 何を躊躇う?この躊躇いが命取りだと知っているのに。

 生きる為に命を奪う。矛盾していると言うだろうか。
誰が、そんな事を言えるだろうか。

 俺は一歩一歩近づいた。ナイフを握り締めた侭。
近づいたものの、俺は何をする事も無かった。
 唯、立ち尽くしていた。

「興醒めでもしたか?」

 閉じていた瞳をぱち、と開けた永智が声も出さずに笑う。
俺は何も言わず、睨んだ。数分前までは確かに寝てたんだ、この男は。
俺の些細な殺気に気づいたのか。寝たフリとは随分嫌味な男だ。

「まぁ、俺も殺られるつもりはねーけどな。
だが…確かに消すのは惜しい存在だな、お前」

 体を起こした永智が微笑みを崩さずに俺を見る。

「何が…」

「俺達は殺人者ではない。言葉遊びだがな」


「…………」

「暗殺者だ」

「お前は無用な殺生は好まない」

「…………」

「嫌いなんだろ?本当は殺し屋が」

「…………言ってくれる」

 俺は永智から視線を逸らした。
言葉に呆れて、何か飲もうと、冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。
俺のでは無いが、この際どうでもいい。

「おい」

 タブを開け、コーヒーを飲もうとしたが、
行き成り呼ばれて俺は永智の方を振り向く。
彼は手に何かを握っている様に見えたが、それが何か解らない。
 俺は怪訝な顔をして固まっていると、
その 何か をこちらに向けて投げられた。

「……………っ?」

 反射的に受け取ろうと動いた俺の左手にチャリッ、
と鎖の感触と金属の音が音を鳴らした。
ゆっくりとした動作で手の平を開くと、そこにあったのは十字架だ。

「何だよ?これ」

 俺は不満そうに呟いた。

「やるよ。神の御加護が有ります様に。」

「は?アンタ、本当に馬鹿じゃねー!?いらねーよ
 大体何?神の加護って」

 まさか、コイツも神父とかそんなんじゃないだろうな、
等と思ったが、それこそ阿呆らしくて考えるのを止めた。

「…………静司、俺達は罪を背負うべきだ。飾りとして渡した訳ではない。
お前は命の重さを理解している。それ故の失態だろう。」

「は?何………」

「業だ、業。」

「………………」

 沈黙が続いた。受け取った十字架を俺は強く握り締めた。
この男が何を考えているのか解らない侭―――………。




*



*




*



「はい、どうぞ」

 俺の銃を持ってきたのは灯夜だった。S&W。
間違いない、俺の回転式拳銃だ。
 灯夜は何の躊躇いも無く、俺に手渡しする。

「お疲れ様です、永智さん」

 にこり、と灯夜は微笑し、辺りを見回す。
俺がまた暴れたとでも思ったのだろうか?

「あぁ」

 短い言葉で答えた永智は、何やら書類らしき物も受け取っていた。
ことに気になる訳でもないのだが、
書類の中身はやはり俺のターゲットの事だろう。

「静司さん、傷の具合は如何ですか?」

「…如何って…アンタ、結構怒ってなかった?」

「いつまでも蒸し返す様な真似事はしませんよ
食事はきちんと摂りました?」

「否」

 俺が答え様とした時、永智が先に口を開いた。
そう言えばこの男、此処に来てから何も口にしてはいない。
尤も俺も、腹が満たされる様なものは食してないのだから、
同じ事なのだが。

「だと思って、買って来ましたよ、お握りと、お茶」

 そう言うと灯夜は鞄の中から何やらコンビニの袋を取り出し、
言葉通りお握りとペットボトルのお茶を取り出す。

「あぁ」

 俺も永智も受け取った。
 人から受け取った物等、いつもは口にしないつもりだったが。
既に昨夜のカップ麺で失態している。

 冷静さを失った俺の失態。


「…………静司さん」

「何だ?」

「本当に、ソレでいいんですね」

「……………これの事か?」

 俺は受け取った愛銃に視線を落とす。
銃の使い方は学んでいる。故に腕に自身が無い訳では無い。

「要はあれだろ、お前のプライドの問題だろ?
使おうが、使わなかろうが、俺はとやかく言うつもりも無いぜ」

 永智がこちらを見ずに言う。お握りを食べながら書類に目を通す。

「プライド………ですか?」

 『ですか?』と言われても、俺には答えようが無い。
如何やら永智の方は俺の過去を知っているようだ。
 
 何れにせよ、俺の手に銃は戻ってきた。
俺は今日にでもやる、そう思い、窓の外を見た。

「あ。」

 パラパラと静かに、しんしんと雪が降っている。
 先程までは視界に入ってはいなかった雪の欠片が、
降り積もっているではないか。

「……私が来た時も少し降っていましたよ。」

 困惑した笑みで灯夜が言った。









*



「些か気になっていた事があるんですけど…」

 静司が出て行った後、書類の束を整理しながら、
灯夜は問う。

「何だ?」

 永智はそんな灯夜に無表情の侭、顔を向ける。

「その書類のターゲットの事ですよ。それは勿論"静司さんの獲物"です。
ですが何故…誠司さんのいた組織は…"態々彼に任せた"のかと思いまして。」

「…さぁな。悪趣味って奴か。それとも非情という意味か。
そのどちらでも無く純粋か、試しか。」

 灯夜は窓を見た。ハラハラと舞う氷の結晶を眺めつつ
静かに息を吐く。

「………踊らすのと踊らされるのは、どちらがいいと思いますか?」

 永智は怪訝な顔をする。

「それは両方哀れか、又は幸せかもしれないな。」



*








 俺は歩いている。ターゲットの元へ。
白い絨毯は俺の足跡を描いていく。
 やがてその足跡すらも消す程に積もる事を、俺は願いながら歩く。


 本来ならば傷がきちんと完治してからも、
再びしっかりターゲットを調べ上げてからも、
もう少し慎重になってから動くのが良いだろう。

 だが、俺には譲れないものがあった。
一度失敗した。チャンスを与えられた。
ならば、今日、が"相応しい"。
 それは俺の中で大きく響いていく。

 雪は静かに降る。俺を濡らしていく。俺を白く染めていく。
周りも、心も。

 ターゲットが野外にいるかは分からない。
行動を把握はしていない。
況して、雪が降っているのだ。

 だが、俺はただ一つの望みをかけていた。



 無鉄砲かもしれないが、俺は向かっていた。
胸に忍ばせた、ずしりと重たい銃を抱えて。鉛と共に。


 ターゲットの男の家はなかなかのお金持ちだ。
何台もある高級車が、裕福な暮らしを物語る。
 妻と子供が一人。子供は………そう、赤ん坊だ。
子供が生まれたばかりで嘸さぞかし、幸福なことだろう。
 子供は男の子。
父親である男は和風の、袴姿の良く似合う40代。
妻である女は詳しくは知らないが、30代前半だろう。

 俺は自分の命等、最早欲しくは無い。
引き換えにしてでも仕留めるつもりでいる。

 果たして、男は家に居るだろうか。
もう、運だろう。
 男の家の周りの塀に登俺は待機した。
あの日もこうして俺は待っていた。

チャンスを。

ガラリ。

 玄関の戸が開く音が響く。俺は息を潜める。
男が出てきた。俺は目を細める。男が一歩一歩、前に出る。
 白い世界に緑の混じった茶色の和服が、よく似合っている。
この、空間には。

「待って下さい、貴方」

 後から女性が赤ん坊を抱えて出てきた。

そう。あの日、俺が失態を犯す羽目になった原因。

「お前は先に行っててくれないか。」

「え?でも………」

「その子を連れて先に。俺も後から必ず行く。」

 ターゲットの男と妻である女性が何やら話しをしている。

「え?でも………如何して?」

 女性は疑問に満ちた声を上げる。
如何やら家族で何処かに出かける予定だったらしい。

「ちょっとやる事があるんだ。そんなに長くない。直ぐに追いつく。」

「そう………分かったわ、先に行ってますよ」

 そう言うと女性は困ったかの様に抱いている赤ん坊を見て、
隠れている俺に気づかずに車に乗って、何処かへ行く様だった。

「………………」

 無言で車を見送った男は唯、黙って立ち尽くす。

「出て来い」

 男がその言葉を言ったと同時、俺は塀から飛び降りて男の前に立った。
銃を一点に構えた侭、男と俺は無言の会話を交わす。
男は驚く事も無く、知っていたかの様な表情を俺に向けた。

「家の者は全て追い払った後だ」

 男のその言葉が俺には些か何を意味するか解らなかったが、
確かに人の気配が無い所を見ると、事実なのだろう。
 だが、何故?
何故そんな事をする?
自分の現状が解っていない訳ではあるまい?

「もう、怪我は治ったのか?」

「まさか。」

 俺は冷たく言い放つ。まさか、あの時顔を見られていたと言うのか。
だが、それも今となっては何の意味もなさない。

 俺は引き金に指をかける。

 沈黙が続く。

 男は何も言おうとしない。逃げ様とも、助けを呼ぼうともしない。
一度命を狙われたとはいえ、如何にも不自然だ。


「受け取れよ、俺からの贈り物を」

男が目を覆った瞬間、俺は躊躇う事も無く引き金を引いた。





真っ白な雪の上に紅い血が飛び散った。


2005/9/24
加筆修正:2013.0618


 


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