ロゴ  涕追想   

 -1- 【 失敗 】







 静寂。街頭の下で影が一つ揺れる。
人目が付かない、この場。
静けさは、滅多に人も、車も、通る事がないのだと思わせる。

 俺は息を飲み込んだ。ごくん、と頭の中で響く。
重苦しくそれでいて、…どこか苦い。

 俺の中から、胸から流れ出る血液。生暖かさが肌を濡らす。
錆びた鉄に似た匂いと、麻痺した痛みがチクチクと残り、
自分に何が遭ったのかを嫌でも思い出させる。

「――――」

 声にならないとは、この事なのか。
まさか、自分が暗殺に失敗した挙句、返り討ちに合うとは…。



 ――――――ほんの一瞬。


ほんの一瞬、だった。
自分に与えられたターゲットには容赦しない俺が、身を引いてしまったのは。


 ―――赤ん坊。


 ターゲットの男は赤ん坊を抱いていた。
隣にはその子の母親だろう、綺麗な女性が笑って居た。
流石の自分もまだ人の心があったのだと思い知る。
しくじればその見返りがどれ程大きいのか解っていた筈なのに。


 ―――そう頭の中では。


 身体は正直なものだった。
あの、温かく微笑ましい光景を俺は唯、遠くから観ていた。

 この手に握る、黒い塊の引き金を引けば、任務完了なのに。
何故躊躇ったのか、何故。お陰でこの有様だ。

様は無い。

失態は失態。

遠ざかる意識。

敗者の末路だと、目を閉じだ瞬間。


「そこで人生を終えますか?」


 若い男の声が胸の傷口に響いた。
俺の様子を察した含みのある言葉。

脱力感な目で俺は男を見た。その動作だけでも怠慢だ。

「私の言っている事、理解出来ていらっしゃる様ですね。」


空気は語る。この男が所謂"一般人"ではないと。

「……………俺に関わる、な」

「私も面倒事は御免ですが」

 にこ、と男は笑うと任務失敗ですか?と付け加える。
なんなんだ、この男は?と俺は脳内で呟く。
不機嫌な俺に表情も変えぬ侭、男は語りかける。

「そんなに怖い顔をしなくても。ああでも、そのままだと出血死ですね。
それとも死ぬのが怖い臆病者?その職で」



 心音が、ドクドクと脈を打つ音が、脳裏に響き渡る。

この男が言っている事を理解出来ても、何故それを訊かれるのか、
朦朧とする頭では考え様が無い。

「もう、ほっといてくれ」

 どーでもいいと言わんばかりの俺の態度に男は少々困った様な顔をする。
俺は目の前にいる男の下から上までを漸く見上げ、目を開いた。

「十字架………?」

 そう口にした俺に男はまた微笑した。

 街頭に照らされ、銀色に光る十字架が目に痛い。何だって、そんなもの………。
俺は目を細くして視線をずらした。

 男はそんな俺を眺めていたかと思うと、
上着のポケットから携帯電話を取り出した。
ストラップも何も付いてはいない、シルバーのシンプルなデザイン。

 何処かの誰かに掛けている様だ。


「もしもーし。永智さんですか?はい、私です。見つけましたよ。」

 俺は黙ってやり取りを聞く。

「それでですね、彼、かなりの重症なんですよ。
え?…結構、辛そうではありますね」

 俺は黙って男を睨む。

「楽にして差し上げますか?それとも――………?」

 この瞬間、俺は自分でも身を竦めたのが解った。

 俺を殺すと言うのか?否、トドメでも刺すと?
まぁいい。外見こそ、そう見えないが、この男は素人ではない。
気配を消せるくらいだ。やるなら、巧く。

「はい、はい、了解しました、リーダー。では事が終わり次第後程」

 その侭電話を切り、再びポケットに仕舞い込む。その動作は酷く丁寧だ。
俺は不機嫌な表情の侭、話を終えた男に呟く。


「やれよ。やるんだろ?」

 男は再び微笑する。
そこには悪意が有る訳でも無く、嘲笑う訳でも無く、柔らかな笑顔だ。

 唯、全てを見透かした様な、そんな微笑み。

「では立てますか?」

「は?」

「立って、歩けるか?、と訊いているんです」

「は…?」

「私の体格では貴方を運べませんし…自力で歩いて下さいね?」

「??」

 此処で殺る訳では無いのか。まどろっこしいのは性に合わない。
俺は単刀直入に言った。

「殺るなら殺れ。俺は逃げない」


 微笑んでいた男は目を丸くする。
声に出さなくても、あっ、という表情をした。
どうやら俺の言いたい事が伝わり、理解したと見える。

「いいえ、私の家に来て貰います。」

 言うが如く俺の腕を乱暴に引っ張り、無理矢理立たせる。
俺の手を濡らした血液が飛び散った。男の綺麗な顔に、鮮血は滴る。
この若い男は気にもせず、手の甲で拭った。
観念した俺はバランスを整えようと、足を立てた。
この状況そのものが、情けなく、不格好。

 俺を無理矢理にでも立たせたこの男。
これのどこが力が無いんだ…俺はそう思った。

「荒療治ですみません。近くなので、私の家」

 なんとも穏やかな声だ。俺は無言だ。

 脱力していた身体に力を入れた為か、
溢れ流れ出る血は勢いを増す。俺はその血を隠そうとした、が。

「素直にすれば良かったものを?」

 男はそんな俺の様子に気づく。鋭い。
が、何をする訳でも無く、歩き出した。


 俺の思考回路は、今のこの状況をどう説明するかまで結びつかない。

 元より、誰なんだ、この男は。
俺より二、三つ程年下だろう。まだ、学生?

 何故俺はこんな事になっている?
何故、俺を家に連れて行きたがる?

 そもそもしくじらなければ良かったんだ。
けれど、子供がいるなんて聞いてなかった。
プロファイルくらいしっかりしてくれよ…。

否、"そんなもの全て"俺の甘い考えてが生み出す言い訳だ。




「着きました」

 俯向きながら歩いていた俺は、その一言で目の前を見上げる。

 ごく普通の一軒家だ。だが外装は上品な造りをしている。
男は扉を開け手招きでどうぞ、と俺を促す。

「心配しなくても、一人暮らしですから。誰もいませんよ」

 言われるが侭、俺はエントランスに足を運ぶ。
使い古された感が漂う、安いアパートに住んでいる俺にとって、
居心地の良い雰囲気は癒される。
 家の中の電気はすでに点いていて、ストーブも点いていたよう暖かい。
それはこの男が"つい先程まで"此処に居たのだと、思わせる。
 窓の下にはソファがある。
薄い水色のカーテンを閉めると、男は座って下さいと一声掛ける。



 訳が解らない。



 言われる侭に、俺は腰を下ろした。
絨毯に新しい"赤き模様"を作ってしまいそうになる。
血が、血が。止まらない。痛みは麻痺している。
 男はそれを見届けると、素っ気無く茶箪笥の上に置かれた箱を持って来た。
俺は無抵抗のまま、シャツのボタンを外された。

「出血の量は酷いですが、貴方は余程、反射神経が良いみたいですね。
あの状況で良く避けられたものです。
しかし止血法知らないのですか?最低限の事はしてくださいよ。」


 俺は唯、呆然としている。
男の台詞は観ていた、かの様な物言いだ。あの時俺は避けたのでは無い。

それでも致命傷でなかった理由は至極簡単だ。



楽に死なせない心理。

痛みに苦しめって事だろう。


 男は俺の手当てをしている。
血塗れの俺の上着は捨てられ、消毒液で染みる傷口に塗り薬を塗り、
ガーゼで出血を抑える。


痛みが蘇る。俺は怪訝な顔をした。


 意識が飛ぶのでは無いだろうか、と思う程だ。
消毒液は傷口に容赦無く塗りたくられた。
脱脂綿に浸し塗布するだろう?普通は。

「こういうのは得意じゃないんですよ。
永智さんなら巧いですけどね?我慢して下さい」

 俺の考えている事を読み取ったのか、男は語った。
誰だ?永智って。まぁ、どうでもいいか。

「誰なんだ?アンタ、何故こんな事をする?」

「よしっ!こんなものか。暫く安静にしていて下さいね」

 包帯を巻き終えた男は俺の質問を無視した。

「だから、アンタは誰なんだ」

 相手は声を出さず笑った。

「そう簡単に正体を教えでは面白味も何も無いでしょう?
貴方は"消す必要が無い"と言う、リーダーの命令に従ったまでですよ」

 ―――リーダー?

 それは電話でも、先程にもこの男が口にした名前の奴か?
俺は色々考えを巡らせる。
まさか、俺と同業者?少なくても複数のグループ構成から成り立つタイプの。
だが、思考の途中で瞼が重くなってきた。


 ―――眠い。


駄目だ、寝ては駄目だ。


その意思も脆く、俺は眠りに誘(いざ)なわれた。


2004/11/14
加筆修正:2013.0604


 


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